80年代の予備校ブームの頃、金ピカ先生の愛称で親しまれた元英語講師で元タレントの佐藤忠志
が、今年9月頃に亡くなった。9月24日、デイサービスのスタッフによって、冷たくなった佐藤が
発見されたという。
享年68歳。
派手なスーツと金ピカのアクセサリーがトレードマーク。コレクションの日本刀を授業中に振り
回すパフォーマンスで人気予備校講師に。ピーク時の年収は2億円とのこと。
やがて長く勤務した代々木ゼミナールからライバル予備校へ転職。タレントとしてもテレビを中
心に活躍。その頃に発売されたCDが『スバリ!うたで覚える英熟語』。
聴いたことはもちろんない。誰もないはずだ。発売は94年。平成6年だから、まだ昭和のノリが
通じた時代。人気者に歌わせればそこそこ売れるとの安易な思いつきで作られたのだろう。
佐藤にとってバラ色の日々は長くは続かなかった。英語講師の需要はなくなり、タレント業も鳴
かず飛ばず。にもかかわらず、稼いでいた時代と同様に、趣味の日本刀や外車を買い漁っていた
という。呆れた妻は家を出て、亡くなるまでひとりで暮らすことに。
晩年、メディアの取材を受けたときには、「生きる屍」「朝からビールを飲んでいる」「身体中
が痛い」とネガティブワードを連発。金ピカ時代を彷彿とさせない痩せ細ったカラダになり、生
活保護で生活していると告白。
さらには「早く死にたい」とも……。
JR代々木駅周辺はかつて予備校生の街だった。代々木ゼミナールの建物はまだ残っているが、
大学受験を目指す若者の姿はない。
80年代、代ゼミには佐藤の他にもキャラが強い講師が大勢いた。授業中に歌う古文講師、堀ち
えみの元マネージャーで芸能界の暴露話をする国語講師、下ネタを織り交ぜる原という英語講
師など。原は「中森ヴァギナ」とよく言ってたっけ。
人気講師の講義がある日は、朝から教室前に受講生が並ぶ光景も珍しくなかった。最前列の席
から、講師に紙テープを投げ、クラッカーを鳴らすために。
今でも代々木を訪れると、そんなハチャメチャな日々の記憶が蘇る。だが、遠い過去の出来事。
かつての人気ドラマ『傷だらけの天使』で使われた、通称・ペントハウスというビルは、夏か
ら解体工事が行われている。
昭和の代々木は今いずこ。残るは代々木忠ぐらいか。
text/シン上田