昭和46年に出版され、当時ベストセラーになった『二十歳の原点』という本があります。
著者は高野悦子さん。
昭和44年6月24日未明、20歳6ヵ月で鉄道自殺をした立命館大学の女子大生です。
亡くなられた後、悦子さんが大学ノートに書き続けた十数冊の日記を見つけた父親がまとめて、同人誌『那須文学』に掲載。
その後、新潮社から『二十歳の原点』というタイトルで出版されました。
日記の始まりは1月2日、悦子さんの誕生日から。
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
高い志と希望溢れる書き出しと共に。
悦子さんがこの世を去って50年。
この本が世に出てから多くの時が流れたにもかかわらず、今も人々の心に響く『二十歳の原点』。
朗読家の春日玲さんもそのひとり。
悦子さんが亡くなられた6月に毎年、『二十歳の原点』の独演会を都内の喫茶店で行っています。
続けること今年で16年。
独演会を行う理由やこの本に対する想いなどをうかがいました。
独演会を始める前に悦子さんのお母さんに会いました
私が『二十歳の原点』と出会ったのは、19か20歳の頃。大学生の頃に入っていた朗読のゼミで、この本の朗読をしたいと言ってきた人が作った脚本を先に読みました。大学卒業後、しばらく過ぎてから、私より15歳上の役者の女性とふたりで朗読をする機会があり、私の提案で『二十歳の原点』の最初の公演が始まりました。
このときは独演会ではありません。私が悦子、彼女は悦子のお父さんという役割です。
2年ぐらい続けました。彼女にはお子さんがいらして、台本を作りや稽古が大変だったので、私ひとりでやるようになったのです。
悦子さんのお母さんに会ったこともあります。
出版元である新潮社のアドバイスで遺族宛に手紙を書いたら、すぐに悦子さんのお母さんから返事が届いたのがきっかけです。
初めて独演会をする前、彼女と一緒にお母さんのところに行ってきました。
お家にいたのはおよそ2時間。急だったので、質問は考えていませんでした。悦子さんに関する話題はほとんど出なかったですね。普通のたわいもない話をしたぐらい。
帰り際に私の背中を見たときに、「あなた悦子と似ているからひとり暮らしをしてはダメよ」と言われたことが印象に残っています。
悦子さんの誕生日の1月2日から独演会の準備を始めます
独演会の準備を始めるのは毎年1月2日から。悦子さんの誕生日に決めています。悦子さんが好きなコーヒーを飲みながら。
2月頃に公演するお店に連絡を入れます。
4月の頭までに『二十歳の原点』とその後に出版された『二十歳の原点ノート』『二十歳の原点序章』の3冊を読み返します、発声練習も兼ねて声に出して。
全部読み終わるのが5月の中頃。それから6月の公演までの間に1週間ぐらいで台本を作ります。
長いこと『二十歳の原点』の独演会をやっていて、一番怖いのが慣れ。
自分の身体から悦子さんの言葉を出すために、忘れる期間も必要なのです。
昭和40年頃の資料や台本を読み込んで想像をつけることはしても、あまり口先の練習はしません。
健康状態や喉をなるべくニュートラルな状態にして、即興に近い感じで朗読することが理想なので。
阿佐ヶ谷『名曲喫茶 ヴィオロン』、高円寺『アール座 読書館』、国分寺『名曲喫茶 でんえん』で、昨年も独演会を行いました。
コンビで最初に公演した埼玉の会場にいらしたお客さんから、『二十歳の原点』に出てくる悦子さんがよく行った『シアンクレール』という喫茶店と雰囲気が似ているお店でやったらとアドバイスを受けて、名曲喫茶で行うようになりました。
悦子さんが生きたあの時代の雰囲気が残っているお店を、30~40店ぐらい探したこともあります。
選択の基準は、悦子さんが生きていたら好きになっていたと思えるお店であること。
私の希望で平成生まれのお店をひとつ入れたくて『アール座 読書館』は選びましたけど。
喫茶店は安心してひとりでいられる場所。
朗読との相性はいいと思います。
『二十歳の原点』には必ず希望があると思っています
作者が亡くなられて50年とか100年もする、いわゆる読み継がれている本にはどこかに必ず希望が含まれていると思うのです。
『二十歳の原点』は決してわかりやすい作品ではないのですが、希望が含まれていると思いながら読んでいます。
『二十歳の原点』は時代によって、さまざまな見方ができる本。
感銘を受ける文章や、好きな文章が、読む人によって異なるのが魅力。
こういうふうに思ってほしいという部分はどこにもないのです。
悦子さんはこの日記が世の中に出ると思って書いていません。小説でもありません。
ですから、読んだ人の中で想像が豊かに膨れ上がるのです。
昨年6月の独演会には19歳から94歳までのお客さんがいらっしゃいました。
当時を思い返している悦子さんと同世代の年配者や、人とのつきあい方で悩んでいるような若い世代などが、さまざまな視点で聴いてくださるようです。
初めてこの独演会に来られるお客さんは、『二十歳の原点』を好きな人がこんなにいることに驚いています。
みなさん自分以外に観客がいないと思っているようです(笑)。
私は『二十歳の原点』以外に、これまでに80作品近く朗読や収録をしているのですが、読むだけでお礼を言われるのはこれだけですね。
「悦っちゃんのことを忘れないでいてくれてありがとう」とか言われます。
自殺した人の本を読んで、また自殺が増えたらと言う人もたまにいます。
でも、『二十歳の原点』によって自殺を想い留まる方や、救われた方が存在しているのです。
世の中にこの本が残り、高野悦子が忘れられない限りは人を救い続けていくと私は思います。
全員が全員から好かれる作品ではありません。
ただ、必要な人にとっては必要な作品ではあります。
この独演会を通して、これまでに千人ぐらいの方と出会いました。
いろんな人生があるなと実感しています。
昨年の初旬、岩手から来られる常連客のおじいちゃんに宛てたハガキが私に送り返されました。
亡くなられたそうです。
私の手紙や独演会のパンフレットを見つけた身内の方から、『兄の最後に楽しい思い出を作ってくれてありがとうと』いうお礼の言葉が添えられていました。
『二十歳の原点』の朗読を始めたときは、こんなに長く続けることは考えていませんでした。
最初の頃は悦子さんと近い年齢だった私も16年の年月を重ね、当時の悦子さんのお母さんの年齢に近づいています。
これからは今までとは違う『二十歳の原点』を読めるのではと思っているところです。
協力:阿佐ヶ谷『名曲喫茶 ヴィオロン』
http://meikyoku-kissa-violon.com/
撮影・文 シン上田 @shinueda2000